段々といい陽気になってきて、いつもならウキウキフラフラしてる季節ですけれども今年はコロナ禍。禍、災いです。
災害、禍、どちらも人が痛い目を見ると言う意味ですが、大局的に見てどうでしょうか。
経済活動が大きく落ち込んで、自然が戻ったとか、絶滅危惧種の繁殖が活発になったとか、大気汚染が改善したとか自然界にしてみればプラスになった。
どちらかが被害を被ればどちらかが恩恵を得る。同じ事柄でもどの面を見るかによって結果は違うものになります。
今朝、ご夫婦とお子さんだけで生活している家族の話がありました。お母さんがコロナ陽性で子供はお母さんにまとわりついてお母さんは隔離できない。授乳中の子供もいて、母乳で育てていてミルクは飲まないと。
これは都市部の話だと思うのですが、まさに、同じ状況が9年前の大震災時の避難所でありました。
やはり今回も災害。
さて災害と捉えるならば、自分はどうすればいいのか、普段どういう準備をしていればいいのか、見えてくるものがあります。
私は競走馬の調教をしていました。普通の馬が競走馬として走る為には、様々な調教を馬に課し、クリアした後晴れて競馬に出走できます。
まず、牧場、お家から寄宿学校のようなトレセンに入って知らない馬と一緒に暮らします。お世話する人も変わります。きついトレーニングもあります。最初の難関はゲートです。狭い場所に入れられて、バンッと開いたらそれ行けっとばかりに追われます。目が飛び出る程ビックリします。
それに合格すると競馬に出走します。馬運車に乗って知らない競馬場に連れて行かれ、知らない馬達と知らない人が周りにたくさんいるパドックで長い間ジロジロ見られます。
それから競馬場のコースに入ってゲートに行ってバンッ。ひえーっとなるくらい追われてゴール。あービックリしたーとドキドキして、大体初出走はおわります。
今迄と違う環境、行動、関係者。それぞれによ〜く慣らしてやっと競走馬になります。どんな競走馬にもすごい手をかけて、言葉の通じない馬に過酷なトレーニングをしています。慣らします。
だから、あんなに整然と競馬は行えるのです。
災害も同じ事でしょう。手をかけて慣らしていないと整然とやり過ごす事は出来ません。
事が起こってからでは遅いのです。
今回のコロナ禍、自然が盛り返してきたという事は、自然の戻りが足りなければ、新たな災害が来る事は間違いない。今回のコロナ禍はその予備練習の時間を与えられたのではという気がしてなりません。
これを機会に、見直す事や、準備をする事、どう過ごすのかなど、このお家時間を有効に活用して、渦中から禍外に目を向けてみましょう。
ともかく、今は準備をしておく事が大切です。